Story

網走からコツコツと、世界へ発信

流氷硝子館の歩みとこれから

流氷硝子館を立ち上げたいきさつ、これからの取り組みへの思いを皆様へより深くお伝えするために、
工房長の軍司昇と統括マネージャーの軍司知恵子がインタビュー形式で語りました。
(聴き手・フリーライター 細川美香、2021年3月収録)

ある本がガラスとの出会いのきっかけに


―昇さんがガラスに興味を持ったきっかけは?

子どものころ、実家が玩具や子供服を売る小売店を経営していたので、将来は店を継ぐものと思っていました。ところが大学3年の時に父から、「店を辞めるからこれからの道は自分で考えろ」と言われたのです。それまで大学の授業にもあまり出ず就職活動もせず、アメフト部の活動に熱中していましたが、将来のことを考えざるを得なくなりました。 自分は何ができるだろう?と真剣に考えた時に、浮かんだのがものづくりの仕事です。子どものころから親戚に漁師と花卉農家がいたので、手を使ってする仕事には憧れがありました。クギを叩いてつぶしてナイフを作るなど原始的な遊びもしていましたね。 ちょうどその時、父から『シュヴァルの理想宮』という本を勧められました。

父は大変な読書家で、たまに面白かった本や、私に合うと思った本を勧めてくれるんです。この本は、フランスの郵便配達員だったシュヴァルが、石につまずいたのをきっかけに石からインスピレーションを得て、それ以来配達途中に見つけた石を集め、配達物の中にある絵ハガキにある外国の建物をヒントに、30年以上をかけて宮殿を建てたという実話です。  この本の内容が衝撃的で、私にとっての転機になりました。「ものづくりを30何年続けていたら、その人にしか見えない面白い世界が見えるのでは」と。 それから本気でものづくりの仕事について調べ、陶芸の窯などに見学に行くようになりました。ある時、小樽のガラス工房に行ってみたところ、溶けた熱いガラスが生き物のように動き、固まるまでの間に職人が形を作っていく姿を見て、すっかり魅了されていました。

「これからどうしていこうか」と考えた時に、もう一つ頭に浮かんでいたのは大好きな地元·網走の風景です。ガラス作りの様子を見て、「網走でものづくりをしたい、工房を構えたい」という思いがガラスでなら叶うのではないかと思いました。そして氷や雪、湖水ときれいなガラス作品がリンクして見えたのです。 そうして、小樽の工房の方に相談したところ、ガラスの学校で幅広く技術を学ぶことを勧められ、大学は一旦休学して東京の学校に行くことに決めました。

知恵子 私は昇と大学で同級生だったのですが、「軍司くんは大学に来ないで何をやっているんだろう」と話題になっていて、ちょっと異色の存在になっていました。ガラスの学校に行くという選択も、今まで他で聞いたことがなかったので、驚きましたね。

大量に燃料を使うガラス製作に違和感


―そのガラスの専門学校で、大きな矛盾を感じたそうですね。

 最初の1年ほどは技術を覚えるのが楽しかったのですが、2年目からは次第に、綺麗なガラスを作るのに大量の燃料を使うことに矛盾を感じるようになって。もともと網走で毎年見ていた流氷が減っていると感じていて、その原因である地球温暖化に問題意識を持っていました。なので、仲間たちが楽しくガラスを作っている様子を見ていて苦しくなり、作品が作れなくなったんです。

そこからは、矛盾を解消する道が始まりました。それが今の流氷硝子館の理念の原点ですね。まず、燃費を抑える窯の勉強を始めました。独学で工学書を読んで、こだわって窯を作っている工房に行って仕組みを教わったりして、紹介された本もまた読んで。 学校にも行かず工房を見て回って、灯油ファンヒーターを買って解体し、ガラス溶解用のバーナーを作ってみたりもしました。 専門学校では最後に卒業制作があるのですが、それをガラス作品ではなく熱効率の良い溶解炉の模型にして、パネルを貼ってプレゼンもしました。学校の先生はガラス作品を発表することを最後まですすめましたが、それを押し切って作った卒業制作です。 学校からは良い評価はもらえませんでしたが、見に来た作家さんは面白がってくれました。実際に工房を営んでいる人も同じ矛盾を抱えつつ、ガラスを作るためには仕方がないと思っていて、私の溶解炉の提案に関心を持ってくれたんです。 「やっぱり、これは必要なことだった」と確信し、これからもこの矛盾を解消していこうと決意しました。

知恵子 昇は、小樽のガラス工房から専門学校に結びついた時もそうでしたが、行く先々でキーマンとなる人に出会っているんです。

 そうなんですよね。特に専門学校に通っていた2年間は不思議な期間でした。矛盾を感じながら先生に窯のことを聞いても、専門外なのでと教えてもらえない。でも一人の先生が、「窯の燃費にこだわっている工房があるので行ってみたら」と教えてくれたので、訪ねてみました。するとその工房の方が専門書を紹介してくれて、その後は書店に通い詰めて、流体力学や燃焼工学の本を読み漁っては、ガラスの窯に使えるかと考えていました。 そんな風に、求めている人や本にどんどん出会うことができ、目的も明確になっていきましたね。

地元で生産されるリサイクルガラスに出会う


 卒業後はさらに、原料の勉強もしようと思いました。就職したのは、沖縄の琉球ガラスの大きな工場です。琉球ガラスは、駐留米軍から排出されたコーラ瓶をリサイクルして使用したのがはじまりです。瓶のリサイクルガラスは細かい泡が残り、工業製品としては好まれないのですが、琉球ガラスではその泡をうまくデザインに生かしていて、勉強になりました。沖縄の人は、雪に馴染みがないのでその泡は潮騒など海のものとして表現していましたが、道産子の私にとっては、「これは雪でしょ、氷でしょ」と思っていました。自分で工房を開くときは、これを雪や氷として表現しようと、アイデアをストックしていましたね。

一方で、リサイクルガラスについてのリサーチを続けていました。窓ガラスや空き瓶を使っている工房はありますが、空き瓶は作っているメーカーによってガラスの組成が異なり、ラベル剥がしや、回収、選別が大変な労力になっていると聞いていましたし、融点が高いのでかなりの燃料を使います。しかし、使い終えた蛍光灯は均質で融点が低く、工芸用の吹きガラスの組成に近いことがわかりました。蛍光灯を処理する場所は全国各地にあるだろうと思い込み、父に頼んで探してもらったところ、さまざまな伝手を使いわかったのは、地元の網走の隣町、北見市留辺蘂町に、全国から廃蛍光灯が集まる野村興産㈱イトムカ鉱業所があるということ。そこで早速交渉し、原料の供給が受けられることになったので、1年後に沖縄の工場を退職して網走で流氷硝子館を開くことにしたんです。

沖縄の工場で働いていた時に、ベトナムの直営工場に3カ月間、ガラス製作を教えに行く機会がありました。当時のベトナムは「これから頑張って行くぞ」と若者たちに勢いがありましたね。物がない中で手仕事をして生きているので手先も器用ですし、「給料を上げて良い暮らしがしたい」というハングリーさがあるのですぐに上達します。「日本人は器用」と教わって生きてきた私にはカルチャーショックでした。「ベトナムの人が技術を持って、こんなに綺麗なものを作っているのに、日本で同じようにものづくりをする必要があるのか?」と自問自答していたところ、地元で供給される原料で環境に優しいガラスが作れるというのは、私にとってすごく大きな価値になりました。環境のバロメーターである流氷を何とかしたいという思いとも一致し、網走で工房を開く動機付けになりました。

知恵子 昇が沖縄の工場で職人として生きていく道を選んだ経緯も、私はすごいなと思っています。商売人の家の生まれなので、ガラスの学校を出たとしても、お客様が買ってくれる良い製品を作らないと工房としてやっていけないと算盤を弾いていました。ちょうど当時、インターネットで情報を検索できるようになったころだったので、多くの職人さんがいて技術を学べる工房を探したら、沖縄の工場とフィンランドのイッタラが浮上したそうです。

沖縄の糸満市の工場は最初は掛け合ってもらえず、それでも糸満市と網走市が友好都市だったことから、何とかつながりを作ろうと市役所を通して掛け合ってもらって。県外からは人を入れないからと断られましたが、それでも押しかけて工場長に「ガラスを巻いてみろ」と言われ、やって見せたら「まあいいだろう」と入れてもらえることになりました。そして厳しくてもここで技術を手に入れて帰ろうと6年間頑張ったんですね。小さな個人工房に行っていたらできなかったと思います。 ちなみに、フィンランド大使館に行き、イッタラのヌータヤルヴィ工場にはメールを出したそうですが、返事は来なかったそうです。
 拙い英語で自分なりに書いたから、通じなかったのかもしれません(笑)。

リサイクルと環境教育ならサポートできる


―知恵子さんは、いつから環境問題に関心を持ったのですか?

知恵子 小学校のころに「リサイクルの重要性、リサイクルをしないと世界はどうなるか」という話を聞いたり、新聞やニュースで知ったのが最初でしたね。「地球温暖化で島がなくなる、ゴミ処理場も満杯になる」と聞き、これはどうにかしないと大変だと思ったのが、環境問題に関心を持ったきっかけでした。地球規模の問題に対して、一人一人が行動することに意味があると思い、今もそうですができることを探して地道に行動しています。

 もともと正義感が強いから、みんながなあなあにすることでも、先のことを考えてちゃんと意見を言うタイプだよね。

知恵子 自分では正義感が強いとは思っていませんが、昇にはよくそう言われます。それで、社会環境問題を考えて社会の意識を変えるには教育が重要だと思い、学校の先生になりたいと思った時もありましたが、結局別の道に進みました。 そして、昇から流氷硝子館の理念ややりたいことを聞いた時、「これだ!」と思い網走に行く準備をはじめました。オープンからの10年を振り返ると、国内や海外のお客様、修学旅行の生徒さんなどに伝える活動を通して環境教育にも関われるし、リサイクルにも関われることに魅力を感じています。私自身は、ガラスに興味はないのですが、この分野でならサポートしていけるなと思っています。
昇と一緒に流氷硝子館をやっていくと決めた理由はもう一つ、網走の環境の良さです。最初に訪れたのはオープンした年の5月だったのですが、北海道の中でも見たことのない、キラキラした海と湖と川に魅了されました。晴れた日だったので、先端までくっきり見えた知床連山の山並みは、ヨーロッパで見たアルプス山脈よりも美しく見え、今でも鮮明に覚えています。

首都圏での百貨店では、反応が得られず苦心


―流氷硝子館をオープンした2010年当時は、周囲の反応はいかがでしたか。

 オープン当初2~3年は、首都圏の百貨店の催事に呼ばれる機会も割と多くありました。「北海道だと小樽のガラス?なぜ網走でガラス?」という質問が多かったです。 運命的に出会った廃蛍光灯のリサイクルガラスの処理場や、工房を構えた網走との距離などの説明をしても、そのころはまだ環境問題やリサイクルに対する世間一般の人の関心は薄く、思った反応は得られず、「リサイクルなのに値段は安くないの?」「素材が劣るのでは?」といった声も聞こえてきました。

知恵子 最初は良いPRの機会になると思いました。製品も確かに売れたので出展して良かったと思っていました。ただ、催事ではわたしたが伝えたいことへの反応が得られず、まだ時期尚早だと感じました。そこで、網走の工房に来てくれるお客様に地道に伝えていこうと方向転換しました。そうすると、網走の景色を見て話を聞いて、共感してくれる方が多く、伝わっていると手応えを感じてきました。海外の方の反応も良かったですね。だから気持ちが折れなかった。ちょっと早かったんだね、と。

SDGsが追い風になり、徐々に注目されるように


知恵子 地道に活動しながら共感してくれる人が来るのを待とうと、SNSを使って工房の日々の出来事などを発信し続けていました。そうすると、企業からコラボの声が掛かるようになったんです。 その一つが、2015年から通信販売のフェリシモでやっていたアップサイクルの企画です。そこから東急ハンズ渋谷店·新宿店で期間限定で取り扱いしてもらったり、が始まったり、「社会的な目的を持って生活すること」をコンセプトにした渋谷のTRUNK(HOTEL)の客室のグラスに採用されたりと、広がりが生まれました。さらに、持続可能な循環型社会を目指す環境に配慮し、先進的な取り組みをしている株式会社アレフでは、「びっくりドンキー」の客席の照明器具に流氷硝子のペンダントライトを、2020年現在70店舗1,200個使ってもらっています。
私たちの理念に共感してくれるところで「使ってもらう·販売してもらう」スタイルが、拠点である網走の工房とバランスが取れてうまく回るようになりました。 ここ1~2年は、2015年の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の影響もあり、メディアに取り上げていただき注目される機会も増えて、「やっと伝わるタイミングが来た」と思えるようになり、うれしく思っています。

教育旅行をリサイクルに関心を持つきっかけに


 オープン4年目ころから、教育旅行や企業研修として利用してくれる件数が増えました。そこでガラス体験だけでなく、数十分時間をもらって、流氷硝子館の環境問題に対する取り組みとガラスに関する話をさせてもらっています。子どもたちの「うわー」「へー」という歓声と大人たちからの激励が、やりがいにつながりますね。ここの景色を一緒に見ながら、「網走の流氷をなくさないためにやっているんですよ」と話すとよりリアルに感じてもらえて、腑に落ちる印象に残るようです。 イトムカ鉱業所のガラスは流氷硝子以外に建材のグラスウールやセメントの骨材として再生されています。ホタテ貝の貝殻を使ったり、乾電池のリサイクル素材でガラスに着色することができると話すと、意外性があって盛り上がります。ガラス製品作りも体験してもらって、リサイクルに興味を持つきっかけになればと思います。

知恵子 来てくれた人たちに、一つでも「行ってよかった」と思える何かが残ればと思って日々対応しています。意識を変えるのはほんのちょっとした何かだと思います。教育旅行で来てくれた小学生なら情報が入ると柔軟に変わるのではと思います。家に帰ってから、ここで聞いた話を家族に伝えてくれるとうれしいですね。 また、ガラス職人を目指す人が最初に興味を持ったきっかけが、教育旅行という場合も多いんですよね。この中の1人でも、将来手仕事やものづくりに関わってくれるといいなと願っています。
地元の高校の商業科の生徒にも、商品開発と販売の実習の授業に流氷硝子館で関わらせてもらっていて、生徒のアイディアを流氷硝子館で形にして、生徒自らがイベントで販売しているんです。企画~販売という流れをやってみるという体験を通して、難しさや達成する喜びを感じて、果敢にチャレンジする人になってくれたらと思っています。

今ここで、自分たちにできることを少しずつ


―ようやく時代が追いついてきたという感じですが、今後の展望はいかがですか。

知恵子 究極は、ガラス工房はやめていいと思っています。地球環境のことを考えると、エネルギーを使うガラス製作はやらないほうがいいのではと思いませんか? でも、ガラスは、何度でも溶かして繰り返しリサイクルできる優秀な素材なんですよ。 蛍光灯もいずれなくなると思いますから、そうなる前に流氷硝子の製品の回収をPRし、回収して何度でもリサイクルしやすい製品づくりを考えていきます。「使わなくなったけれど、これがあるから新しい器は買えない」と思っている方に、気兼ねなく流氷硝子を再利用してもらいたいですね。 それもいずれ需要がなくなれば、ガラスではないものに目を向けていければいいと思います。

 わたしたちは、輸入原料に頼ったガラス製品と環境に配慮したリサイクルガラス製品のどちらを選ぶか、使う人が選択できる状況が必要だと考え、提案しています。
やっぱりモノは作りたいですね。材料は世界中から集められますが、地域に限定して絞っていく方が楽しいですね。モノの見え方や人との関わりがよりリアルになりますから。廃棄物の中から使われないもの、みんなが注目しないものを見つけるのが面白いと思います。

知恵子 これからここでできる取り組みについての考えが、昇の意見と一致しました。 日本の電気の使用量は、冷暖房が多くを占め、夏のピークは7月8月、冬のピークは1月2月です。ガラスを溶かす溶解炉(窯)は、約1200℃前後で24時間動いています。 寒い時は窯の熱を暖房にリサイクルできていますが、暑い時に発する窯の熱は、室温を上げて、体に負担がかかるだけで再利用できていません。 そこで、今年から7月と8月に窯を動かさないようにしたい、熱を発しないことを目標に動いています。再生エネルギーへシフトするために、電力会社の変更も予定しています。

 近隣の町とも協力して、地域資源をもっとガラスに活用していきたいです。これまでも、川湯温泉の湯の花を使った琥珀色のガラスと、冷泉の堆積物を使った青緑色のガラスを、弟子屈町と流氷硝子館で開発を進めています。乾電池のマンガンで着色した「バッテリーブラウン」も、イトムカ鉱業所から「乾電池も何かに使えない?」と持ち掛けられたのがきっかけでした。「廃棄物を使ってこんな色ができるんだ」と面白がってくれる仲間が増えたらうれしく思います。
また、なかなか実現できないのが、梱包材の脱プラスチックです。ガラス製品は持ち帰りや発送の際、割れないようにどうしても緩衝材が必要なので、環境にやさしい代替品を探しています。まだまだ見直しできることはありますね。

知恵子 これからも環境のことを考えてできることに取り組んでいきますが、ちょっと無理してでもできそうなことを見つけて、継続してみんなで取り組んでいきたいですね。

 ここ数年で、環境問題に関心を持つ人も増えましたし、そういった世界中の人とSNSを通してつながる機会も増えました。そんな中で流氷硝子館の商品や考え方を知ってもらい、リサイクル環境に配慮した商品を選ぶなど行動するきっかけになってくれたらと思います。

工房長  軍司 昇(gunji noboru)
1979年(昭和54年)12月 北海道網走市生まれ
1998年3月(平成10年)北海道網走南ヶ丘高等学校卒業
1998年4月(平成10年)北海道工業大学工学部経営工学科入学(現北海道科学大学)同アメリカンフットボール部入部※妻 知恵子と知り合う
2002年3月(平成14年)北海道工業大学工学部経営工学科中退。ガラス工芸の道へ。同アメリカンフットボール部卒業
2002年4月~2004年3月(平成14年~16年)東京国際ガラス学院に入学し、ガラス造形の基礎を学ぶ。
2004年4月~(平成16年~)2009年7月(平成21年)沖縄県糸満市琉球ガラス村に入社。ベトナム自社工場での勤務(3ヶ月間)
2010年5月 流氷硝子館 ガラス工房 工房長
2013年7月~(平成25年)食とクラフトのバザール「オホーツクまるごと市」を開催 実行委員長を務める2014年、2015年と開催後に東京農業大学オホーツクキャンパスの学生主体の「農大マルシェ」へイベント移行。オブザーバーとして現在も開催に関わっている。
2018年4月~(平成30年)オホーツク農山漁村活用体験型ツーリズム推進協議会 会長に就任。コネクトリップ カヤックガイドとしてサポート
好きなこと:スケボー、サーフィン、カヤック、野営


統括マネージャー  軍司 知恵子(gunji chieko)
1979年(昭和54年)12月 北海道稚内市生まれ
1998年3月(平成10年)北海道稚内高等学校卒業
1998年4月(平成10年)北海道工業大学工学部建築工学科入学(現北海道科学大学)
2002年3月(平成14年)北海道工業大学工学部建築工学科 卒業。
2002年4月~2010年12月(平成14年~22年)北海道内で建築関連の仕事に就く。
2011年1月~(平成23年) 流氷硝子館 勤務
好きなこと:工程管理、海、ゴミ拾い、献血、逆立ち


インタビュアー 細川 美香
合同会社ハーヴェスト代表、フリーライター。
流氷硝子館ほか企業・官公庁等のウェブサイトおよびパンフレット、広報誌等のコピーライティング、雑誌・ウェブ媒体の記事制作を手掛ける。

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